音の手触り、剥き出しの指で

ここ数年CDショップというものに足を運ぶことはなかったように思う、webでの試聴が容易になりデータと言う形の音楽に僕は十二分に満足しているからだ

散歩のついでに訪れた大型CDショップで陳列され売られていたものはコンパクトディスクでありそのジャケットであり販売促進用のノベルティであり音楽にあらずもはや死臭というよりは腐臭が漂っていた(それもそのはずwikipediaによるとある協会に加盟するCDショップ店舗数に至っては3年前の時点でピーク時と比較して既に1/5を切っているらしい)

今日の連れは何枚か試聴して悩んだ挙句3枚ほどディスクを購入していてそれは彼の中で音楽を入手するという手続きとして重要だということは知っているのだけれどどうしても納得ができないのはどのみちHDDに保存しPCを経由してスピーカあるいはイヤホンを鳴らすからであってインターネット環境が当然となりつつある今物質としてディスクは必要ないのだから今後は適当なノベルティにmp3のDL用URLをつけて売ればいいのにと思ったところでここ1年ほどずっと気になっているSludge-tapesはスマートだなあと嘆息する、なるほどカセットテープは繰り返し聞けば劣化するメディアだしレコードほどの哲学のなさが逆にクールだ

 

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ここで紙の本についても同じことが言えるかどうかということを考えてみたがまだ大手出版社ですら新刊の電子書籍同時刊行は少なく僕はまだ自炊と呼ばれるそれに対しても否定的だし物質としての書籍への執着があるのだが索引とか文書検索だとかがうまいかたちで実装され新刊が当然の顔でデジタル出版されるの世となってしまえば電子書籍で一向に構わないなと思ったのであったがただひとつ言えることがあるとすれば書籍との出会いというものが18を過ぎるまで図書館あるいはそう呼ぶのも許しがたいような書店しかなかったことに勝手にコンプレックスを抱いており更に実家の本棚の貧相さに関して若干の恥じらいがあるため今手の内にある最大の幸福「読みたい本に巡り会える環境」だけは今後も何があろうと譲らずにおきたい

 

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今日も塩梅はよろしくはないが冷たい空気の中長い散歩を経て少し落ち着いたように錯覚する、そう明るくはない未来に起因する絶望へ易易と打ち勝つ三大欲求ったら