人生のピークをどこにもってくるか

10年前の自分が思い描いたそれはとっくのとうに過ぎてしまった

 

高校3年の夏に妹の体育祭でばったり出くわした中学の同級生に「ああまだ生きてた(笑)」みたいなことを言われる程度の素行の酷さから己ですら25を過ぎて生きているビジョンなんてなかったし今も10年後のことなど考えられないけれど目の前のものを大事にしてそれなりに生きていこうという気はある

 

4年くらい前に「例えば今から宇宙飛行士になろうと思ってどんだけ努力してもなれないのでは?今からやったって手遅れでしょう?」みたいなことをわりと身近な人(その人は今の僕と同じ年齢だったと思う)に言われた記憶を掘り返してみたのだけれどどんなに可能性が低くても努力が報われないということを公言するのが嫌いだった僕はすごく怒った(それが正しかったとしても希望が少しでもあるなら頑張る意味もあると思うし残酷だけれど叶わなかったとしてもそれを信じて頑張っちゃうそれそのものを楽しめる人のほうが好きなだけなんだけど)、大人になって生きることの意味とか将来みたいな言葉が自分の中で影を落としはじめて体力的精神的にも自分の限界が見え損得勘定しちゃうのは致し方ないしそれこそ結婚にあたって「お金がすべてだぜと言い切れたなら迷いも失せる」って歌詞を書いてしまうお兄ちゃんがほしいなと書いたところで妄想する、もしかしてあの人現実にぶつかって寂しくなってそれでも頑張ってる自分を肯定して欲しかったりしたのかな、なんてことを本人に言ったらはったおされそうだけど

 

今日のこの記事のタイトルは確か劇団鹿殺しが2004年に上演した「愛卍情」という殺伐としたお芝居の台詞から(のはず)、血へど吐き血便ひりだし精神を削りながらアマレスに青春を捧げ結果として美しく壊れてゆく選手のお話で今見たら思うところある気がするなと思いつつ演劇系の知人であるところの某さんに確認してみたところ「どの舞台でもにたようなこといってる気が」という一言でなんだか微妙な気持ちに

 

そんな一日の終わりに聞くのが不可思議/wonderboyなんてカッコつけすぎかな


【PV】「Pellicule」by 不可思議/wonderboy - YouTube

 

今日の日中はまともに仕事できなかった

これから頑張ろう