依存という名の病気を治療する病院

うまく感想が書けない。長くなる一方でまとまりを欠いてきた上どうしても気持ち悪い主観が抜けないのでここらで投げて一旦手を離す。


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先日オーディトリウム渋谷に「治療休暇」を観に行った。
上映最終日に行ったのは失敗だった。もう一度観たくなる映画だった。
アフタートークがふんわりとしていて、そっちに意識を持っていかれてしまったのも少なからずある。でも致し方ない、だっていまおかしんじ監督との対談だもの…。

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キャスティングがすばらしい。 脚本があて書きかと思うくらいドンピシャのキャラクターたち。特に主人公の月亭さん。本当にイライラさせてくれる。
また、全編通して挿入されるアコーディオンの音楽もぴったりだった。
これらについてアフタートークで語られていたが、特に監督とコネクションがない人たちで、youtubeニコニコ動画での出会いからオーディション、採用となったということだった。興味深く聞いた。

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さて本筋だけれど、ゆとり年代のキッズ・リターン、っていうまとめ方はどうだろう。

ぬるま湯に浸る日々で痛い目を見、挫折をみたような気になって開き直って、青春の上澄みを啜っている(顰蹙を買っている自覚はない)。世の中の流れとか環境を味方にして「まーなんとかなるっしょ」で済ませていて、軽やかに見える。

が、それはもはや治療ではなくて鎮痛でしかないんじゃあ、と僕にはどうも危うげに見えてしまう。

主人公とその悪友が歩道橋の急なスロープを、バイクに二人乗りで駆け下りてくるラストシーンがなんとも象徴的。
バカを繰り返して笑うふたりの楽しそうな顔を見て僕が不愉快になるのは、どうせ今日うまくやり過ごして逃げおおせてもその先はないとか、意志なしに事態は好転しないとか、無駄な努力はないとか、継続は美しいことだとか聞かされてきたからだと思っている。

でも一方でその言葉を信じられない。

夢とか未来とかいう言葉はどうも苦手だ。意識が高い奴らはどうも胡散臭く見えてしまって、どう希望を描いたらいいかわからない。だからこいつらみたいにバカ続けられるのが実は一番幸せなんじゃないかって思っちゃったりして、でもメタい自分はそういう人たちを己を棚上げしてどこか見下してて、こんなんだから変えられないんじゃないかって、がっかりする。痛い痛い。だからこそ終わった後にキッズ・リターン見たくなったんだけど(そして結果宙吊りになるわけだ。1986年生まれの僕はギリギリゆとり世代にも含まれない)。

「まだ始まっちゃいねえよ」と、多少の失敗どこ吹く風で言えたら、どんなに楽だろう。
後ろめたさの中でも、馬鹿やって笑ってられるいい意味での鈍さがあったら、どんなに楽だろう。
開き直れず立ち尽くすばかりの僕らを救済する映画はまだか…(あ、それがエヴァなのか?)


ところで今回、今春学部を卒業してなおモラトリアムを延長するため院へ進学した某さん(26)を誘ったのだが、来なかったのがとても残念だ。僕と同じように少なくとも2、3日は引きずったと思うんだけど。