2013-02-06 繰り返しているように見えて同じことは二度と起こらない
最近コンテンツを誰かと一緒に消費することに抵抗が芽生えだしていてなぜかと考えてみたら概ね納得がいく理由があり(1)見終わった後同じ深度で話ができないことにいちいち落胆したくない (2)コンテンツとヒトを紐付けた記憶にすると厄介 (3) 1,2を前提に消費のための消費ではなくコミュニケーションのための消費になると不毛 といったこの3点を挙げた時ふと自分は他人のことを減点方式でしか見ていないかもしれないという疑念が鎌首をもたげ脳がまたもうどんに擬態しようとするがさておき七里圭監督「のんきな姉さん」のアンコール上映に出向いたのだけれど弟役の塩田貞治はmichaanに似て見えることが数度あったが彼よりも所作が随分幼く甘ったるい感じがしていたのでやっぱり違うなと思い直しつつ着目した姉役の梶原阿貴は色気がなくまさに姉さんという立ち居振る舞いで前髪にかすかに残る90年代の残り香のようなものがそのアンニュイな表情を引き立ててよかったしさらに脇役の三浦友和と大森南朋の演技がたるみがちなストーリーをしめているが半ばを過ぎた頃から隣で観ている客は物語の筋同様多重構造の夢を行き来していて退屈な映画だろうかいやこれはそんなことはないはずだしそうそう全編にわたって挿入される音楽も奥行を感じさせるストリングスがすばらしくサウンドトラックを手に取ろうかと思ったが財布の中には700円しか入っていないことを思い出し夕飯も食べずにまっすぐ帰宅して風邪気味なこともありすぐ布団に入ってしまったため早々に眠りに落ちた(残念ながら夢は見なかった)