2013-01-31 まちがっている でも、ものすごくまちがっているわけじゃないだろう

うちの会社の定時は9時半から19時半で間に2時間休憩をとっていいことになっているが大体昼休みを1時間半ほどゆっくりとる以外は細切れにため息を漏らしながらホットココアを飲むかトイレでイヤホン突っ込んで爆音にしたミドリを聴くくらいだし半時間くらい早く帰りたいとは思っているもののなかなか周りを見ていると席をたつのもなんだか気が引けてしまって愚図々々しているうちに20時を過ぎてしまい慌てて会社を出て詩集を持参すると割引になるという映画をみるのだし今日手持ちの数冊にそれは含まれずどうせだから新しいものでもと(本当に欲しい詩集がそこにないのは分かっているのに)恵比寿の駅ビルに入っている有隣堂書店で岩波文庫の棚前に立ち時間を浪費しひび割れてしまった携帯電話が知らせる時間ギリギリの列車に滑りこむタイミングでエスカレーターを駆け下り無事新宿で向かい側ホームの電車へ駆け込んで息つく間もなく目的駅へ到着しポレポレ東中野へ飛び込んだその時ちょうど映画「あるいは、佐々木ユキ」のレイトショー上映2分前で疎らに空いた席で目についた前から5,6列目の中程に滑り込んでマフラーを解いた頃合いで監督が詩篇の記された紙数枚と1冊の詩集をもってきてマイクの前で静かに自作を朗読するその「むこうみず」という詩に脱ぎかけた上着を抱きしめたくなるような気分がまとわりついた脳みそはしばらくうどん化してしまい映像に入ってゆくまで多少の時間を必要としたことはさておき映画の冒頭で主人公が握りしめていたラムネ菓子だがチケット購入時に何らかの意図を持ってスタッフから似たようなものを手渡されており15Φほどのタブレットは10個きっちりセロファンに包まれノスタルジイをくすぐるもので出会う人に度々手渡される重要なアイテムだということと見たことの記録を残しておきたいという妙な抵抗から食べるのを躊躇したが翌朝いっぺんに5個ずつ口の中に放り込んで何度も何度も形を舌で確かめるようにして舐めていたらその行為は虚構と現実と詩篇が折り重なる映画の芯をまさぐることに少し似ているような気がして溶けつつも崩れずに残る小さなそれらを噛み砕きたくなったからそうした